九州地区の武士たちの中で、藤原隆家の人気は彼が都に戻った後も非常に高く、隆家の子孫を自称する家も多かったといいます。権力闘争に明け暮れる朝廷の上級貴族の指示を仰ぐよりも、迅速に眼前の問題に対処できる軍事力の持ち主が必要とされるようになったからこそ、官位では道長に劣る隆家の人気が九州の武士たちの間で爆発し続けたともいえますね。
歴史の転換点となった刀伊の入寇という大事件について、史実の紫式部がどのように感じていたのか(この時まで彼女が存命だったのかは不明ですが)、なにも記録が残っていないのは残念なことです。