<日本の行政のアウトプットは、とにかくダサい。(中略)多くの方々がそのダサさに辟易しつつも、諦めてしまっている部分なのではないでしょうか。私が住んでいたフランスでは、行政の発信もやはりおしゃれで、美的センスに溢れるものが多くありました。>(いずれも2020年8月2日折田氏noteより)

 並々ならぬ「ダサさ」への嫌悪感ですね。これらを読んでいくと、折田氏にとって「美的センス」へのあこがれが、「ダサいをなくしたい」という思いの反動としてあらわれているのではないかと感じます。

◆折田氏の根本は「ダサいをなくす」こと、見栄えがすること

 女性ファッション誌『MORE』の電子版でのインタビュー(2022年12月20日掲載)では、「もっと日本全国を明るく、キラキラと輝かせるお手伝いがしたい」と語っているものの、より本音がストレートに伝わるブログ形式の「note」では、否定的な感情がモチベーションになっているのがよくわかります。短い文章の中で、「ダサい」が4回も出てくるのはよほどの事態でしょう。

 折田氏は、上質な事物を効果的に伝えるための見栄えを整える手段が日本の企業や行政にはない、と言っているのですね。日本は美意識に欠けている、と。そこを私がお力添えいたします、と決意を語っているわけです。

 もちろん、こうした折田氏の意見は賛否両論わかれるところでしょう。ここではその是非を問うものではありません。

 大事なことは、折田氏にとって、仕事の根本、言動の根っこにあるものが、「ダサいをなくす」こと、見栄えがすることだという点なのです。

◆SNSでは「ダサいをなくす」を生活ぶりで常に表現

 その一方で、美的センスに欠けた日本の行政や企業を補助する職業人としての原則をプライベートにも課さなくてはならない苦しみもあったのではないでしょうか? それがSNSにあらわれているからです。