しかし、姉が出てこないということは、紫式部本人が『紫式部集』などで認めたこの手の逸話を潔く切り捨てたことに等しい。ですがこれは、後に紫式部が藤原彰子の女房になった時代にも同僚女性と特に親密な交流をした『紫式部日記』に書かれた有名な逸話さえもバッサリ省略される可能性が高くなってきたことを表しています。

 ということで、今年の本コラムの連載については創作部分がかなり強くなりそうで、例年通り「史実とはここが違う」的な話をしても無粋になるだけかなぁと感じています。三郎(木村皐誠さん)とまひろのシーンなどは好みだったので、ドラマのいちファンとして、つらつらと心に映るよしなしごとを書き連ねつつ、興味を引いたトピックについて軽く解説を加えていくスタイルがよさそうかな……と思います。今年もどうぞ本連載をよろしくお願いいたします。

 さて、長い前置きになりましたが、今回はドラマの冒頭から登場していた陰陽師について少しお話したいと思います。「陰陽師」は一般的には「おんみょうじ」と読まれますが、少なくとも平安時代での正確な読み方は「おんようじ」でした。「陰陽道」も「おんようどう」で、古代中国から伝わった五行思想――乱暴にまとめると、仙人になって不老長寿を得ることを目指すという道教由来の思想体系――をベースに日本で独自発展したものです。

 夢枕獏先生の『陰陽師』シリーズはもちろん、歴史的創作物の中ではカリスマ陰陽師・安倍晴明が式神を駆使して、呪詛したり、呪詛返しする姿が有名ですが、平安時代の陰陽師の中心業務は、ドラマの冒頭にも出てきたように天文学者というべきもので、天体の動きから吉凶を予測するなど占い師としての仕事「も」した程度だったのです。