当時、ファンの大半は女子中高生だった。親衛隊ともなればクラッシュを追いかけて地元以外にも遠征し、試合やコンサートに駆けつけなければならない。交通費やチケット代はかなりの額になりそうだが、彼女たちはどう工面していたのか。

伊藤「可能な限りはアルバイトをして、どうしても足りない分は親の援助です。交通費の節約という意味では、私たちの最強の味方が『青春18きっぷ』でした。ちょうど私たちが小中学生のころに出てきたんですよね。大阪から東京に行く場合、夜の10時くらいから『青春18きっぷ』を駆使して鈍行電車を乗り継ぎ、早朝に東京駅に着くんですけど、乗り継ぎばっかりだからまったく寝られません。いっさい寝ないまま、ハッピを着てポンポンを持って試合の応援に行くわけですけど、それでも『クラッシュを見たい』という一心でやっていました。アイドルがいつまでアイドルでいてくれるか分からないからですから、行けるうちに会場に行くという気持ちでした。今で言う『推しは推せるうちに推せ』ですね。宿泊費については、全国に親衛隊やファンクラブの友だちがいるので、その友だちの家やウィークリーマンションに泊まっていました。東京に行ったらこの子の家に泊めてもらう、その子が大阪に来たら私たちが泊めてあげる、というように、ファン同士で当たり前に助け合いをしていました」

 チケットは親衛隊やファンクラブでまとめて購入するが、それを女子中高生たちが自ら管理してやっていた。今では考えられないことだが、それで組織がしっかりと回っていたのだ。

伊藤「今に比べたらチケット代は安くて3000円から5000円以内ですけど、何十人分なので総額は数十万円になることもあります。中高生としては普通なら見たこともないような大金なんですけど、当たり前のようにお札を数えて、代表して事務所に送金していましたね。試合だけじゃなく、コンサートが決まったら購入希望者を募って同じようにやっていました。現金書留で代金を送ったり、不便な時代です」