飛鳥さんが次にBOØWYが好きだと言い出したら、今度はBOØWYのシングルやアルバムを全部揃えて、すべての曲を覚えるんです。ロックにまったく興味がないんですけど、それでも100曲とかを覚えられてしまうんです。それをして何の得があるのかというと、何もないんです。たまにその中から飛鳥さんがコンサートで何曲かカバーすることはあるんですけど、その時に曲が分かるのが唯一のメリットですかね。なぜそんな得のないことをやるのかといえば、それは『好きな人の好きなものをすべて知りたい』という自分の欲望を満たすためだけです。今から思えばすさまじいエネルギーなんですけど、当時はそれが当たり前でした」

 近年は若い女性が推し活のためにパパ活などに手を出してしまうという事例があるが、当時の彼女たちにそのような発想はなく、そういう意味では健全だった。だが、それでも女子中高生がクラッシュを追いかけて飛び回っているのだから親は心配しなかったのか。

伊藤「ファン活動は親公認でした。『行くな』といっても絶対に行くわけですし、ファン活動のためにバイトを必死に頑張っているのも親は知っているから、止めませんでしたね。一日中プロレスのビデオを観てるし、部屋にいればスクラップブックを整理したり、CDを聴いたり、ずっと女子プロレス漬けですから、親も分かっているわけです。遠征するにも必ずグループで行動していましたし、変なことをやっているわけではないので、親としては逆に安心だったのかもしれませんね」

 親衛隊というと「鉄の掟」がありそうなイメージだが、意外にもアットホームで和気あいあいとしていたという。そんななかで、伊藤はファンからレスラーになった少女とも運命的に出会っている。

伊藤「私が所属していた親衛隊は何をしちゃいけないという規則があるわけでもなく、アットホームでした。クラッシュの親衛隊が全女の方針で潰されて、千種さんと飛鳥さんのそれぞれの親衛隊やファンクラブになったので、余計に隊員同士の結束力が強まったんだと思います。そんなアットホームな雰囲気でやっているなかで、1人の女の子が挨拶に来てくれたんです。私たちは一応古株だったので、その女の子が『飛鳥のファンクラブの〇〇です。仲良くしてください』って。尼崎の試合会場だったんですけど、いかにも飛鳥ファンという感じのボーイッシュな女の子でした。ただ、すぐに会場に来なくなって『辞めちゃったのかな』と思っていたんですが、後年にプロレス雑誌をなんとなく見ていたらその女の子が『バット吉永』として女子プロレスデビューしていたんですよ。ファンからレスラーになる子は結構いるんですけど、間近でレスラーになった子は彼女が初めてでしたね」