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そもそも女子プロレスラーの公認親衛隊とはどのように生まれたのか。

伊藤「親衛隊はビューティ・ペアの頃にもありましたが、ちゃんと形式化されたのは85年くらいだと思います。全国にクラッシュ・ギャルズの公認親衛隊ができて、歌に対する全国統一のコールや振りが決められるといった形になったのは、その年の8月にリリースされた4枚目のシングル「東京爆発娘!」の頃。22日の日本武道館、28日の大阪城ホール大会を境に、親衛隊のコールがキレイに揃っていきました。当時は前半戦と後半戦の間にリング上で歌のコーナーがあって、デビル雅美さんとクラッシュ・ギャルズ、のちにJBエンジェルス(立野記代&山崎五紀)、ファイヤージェッツ(堀田祐美子&西脇充子)、海狼組(北斗晶&みなみ鈴香)などが歌っていました」

 親衛隊の不思議として、発表したばかりの歌に統一されたコールや振りがすでに決められ、それを全国の隊員がマスターしているということがある。この謎の真相には、強力なトップダウンの組織構成が関係していた。

伊藤「親衛隊のピラミッドとしては、一番上に親衛隊長がいて、その下に副隊長、それから隊員という形になります。ですが、実は親衛隊長の上に全国の各親衛隊をまとめる『幹部』という人たちがいるんです。私が親衛隊をやっていたころは、幹部は東京に5人、支部の関西に1人いました。リリース前にコールや振りが決まっているのは、全女やレコード会社から幹部に情報が降りてくるからです。それを基に、全国の親衛隊に用紙で情報が回っていくんです」

 隊員に情報を回すといっても、今のようにスマホやネットがあるわけではない。彼女たちはとてつもない労力をかけて、クラッシュを盛り立てるべく全精力を注いでいた。

伊藤「ファン同士の連絡は今みたいにLINEでというわけにはいきませんから、基本的に『家電』ですね。あとクラッシュ・ギャルズ、ソロシンガーになった千種さんは、学生たちのお休みの時期、ゴールデンウィーク、夏休み、年末年始にコンサートをしていたんですよ。そのコンサートの前に、コールが書かれた新曲の用紙が東京の幹部から各支部の幹部に送られてくる。それを隊長がコピーして、『集会』と称して、学校がお休みの日曜日に隊員たちを集めて、用紙を配る。そこでみんなでコールと振りを覚えて、コンサート当日も早めに集合して、会場付近の駐車場や空き地などで最終的に合わせて本番に臨むと、そういう流れです。『コピー』『郵送』『家電』といったアナログな時代なので、すごく手間暇がかかります(笑)」