抱かれたい男性のランキングの常連といわれても、高齢者には、「それがどうした」といわれかねない。
なぜ、NHKは流星の起用に踏み切ったのだろう。大手事務所関係者によれば、
「近年、若者のテレビ離れを食い止めるために、NHKは若年層向けのキャスティングに力を入れています。しかし、超が付く売れっ子はなかなかスケジュールを押さえられません。大河の主演を引受けると、約1年にわたる撮影期間中、ほぼ他の仕事を入れられなくなるからです」
それで、超がつかない横浜流星に白羽の矢が立ったというのである。
蔦屋重三郎が出版人として大きくなったのは30代からだといわれる。没年は47歳だといわれているようだ。
若すぎる流星には、ちょっぴり心配はあるが、役作りに熱心な俳優だから、これまでとは違った蔦屋重三郎像を演じてくれるのだろう。私は楽しみにしている。
お次は加藤和彦たちのお話。元東芝音楽工業にいて、1970年代の音楽シーンを牽引してきて、音楽プロデューサーとして知られる新田和長が『アーティスト伝説』という本を新潮社から上梓したそうだ。
その彼が新潮で当時の裏話を語っている。
我々世代にはフォーククルセダーズの一員として知られているが、このグループは加藤の呼びかけで結成されたという。
1967年に1年限定でプロデビューし、いきなり『帰って来たヨッパライ』がミリオンセラーになった。
解散した後も、メンバーそれぞれが『あのすばらしい愛をもう一度』『戦争を知らない子供たち』『花嫁』などの名曲を世に出した。
加藤はトノバンと呼ばれ、ミカをボーカルに据えて『サディスティック・ミカ・バンド』を結成する。
74年にはイギリスから世界的な音楽プロデューサーを招いてレコーディングを行い、アルバムはアメリカとイギリスでも発売された。
そして翌年、イギリス公演を成し遂げるが、ミカはイギリスにとどまり、件の音楽プロデューサーと暮らすことになってしまう。