ドラマでも故・道隆(井浦新さん)が開催した「漢詩の会」が描かれていましたが、平安時代において、政治と詩歌の会などの芸術イベントには密接な関係がありました。しかし同時に、政治的立場を超えて芸術を通じ親睦を深める機会も、そうした場にはあったわけですね。
史実の道兼に紫式部(ドラマでは吉高由里子さん)の母親を殺したという「罪」はないわけですが、藤原兼家(ドラマでは段田安則さん)の息子として、一族のため、花山天皇を騙して退位させるという汚れ仕事を引き受けたのは事実です。それなのに自分を後継者(関白)に選ばなかった父・兼家に道兼が激怒していたという話は『大鏡』にも見られます。しかし史実の道兼は、そうした『大鏡』などの歴史物語や、ドラマに描かれていた以上に「気配りの人」であって、花山院退位事件で不遇を見た人々の恨みをなんとか解消しようと努めていたのでしょうか。それが道兼の和歌への傾倒の内実だったのかもしれません。
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