名実ともに最高権力者になるための階段を一段一段、上っている最中の道長は、いわば曖昧に「偉い人」というだけの名誉職的なポジションを与えてもらうより、具体的に何が許され、何が許されていないか、法的根拠がある中で辣腕を振るうことを好みました。要するに「あいつは法をねじまげて、こういう暴挙をしでかした」といわれることを、少なくとも政治的には防ごうとしていたということでしょう。まぁ、私生活では道長はメインの屋敷・土御門第の広い庭を整備するために、平安京内の公の建物の礎石を配下の手で奪って来させたり、やりたい放題だったのですが……。

 道長は関白にはなりませんでしたが、自分の(外)孫が、後一条天皇に即位すると、摂政に就任していますね。摂政とは幼少の天皇に代わって政治を摂る役職ですが、「公卿会議」には出席できません。この頃にはすでに道長に対抗し得る政治的なライバルは誰もいなくなっていたので、ついに道長も「名誉職的なポジションに就いてもよいか」という判断をしたということですね。

 そういう道長の出世栄達の足がかりになったのが、一条天皇時代に伊周より上位のポジションを得たという事実だったのです。ドラマでは一条天皇の寝所に(道長の姉でもある)詮子が母親の特権で押し入り、涙ながらに切々と伊周ではなく道長を関白にするように説いて聞かせていました。吉田羊さんの熱演が光ったシーンでしたが、これは『大鏡』にも実際に見られる場面です。

『大鏡』でも詮子はドラマ同様、涙ながらの大演説をしたとあり、ついに天皇を説き伏せることに成功すると、自ら天皇の寝室の扉を押し開いて外に出て、側でドキドキしながら控えていた道長に向かって、赤らんだ頬には涙の筋を残しながらも「御口はこころよく笑ませ給ひ」――口元だけは気分よく、にっこりして見せたとあります。詮子は本当に癖と押しの強い女性でした。