のちの道長は公卿の筆頭格である左大臣に昇格し、「一上左大臣(いちのかみさだいじん)」と呼ばれました。「一上」とは「一ノ上卿(いちのしょうけい)」の略で、「帝の第一の臣」というような意味です。左大臣と同義なのですが、道長の場合はそれらを重ねて書くことで、通常の左大臣よりもさらに権勢が上だったという含みを持たせているのでしょう。
ドラマの道長が関白にならなかった/なれなかったのは、一条天皇が最愛の中宮・定子(高畑充希さん)に対し、彼女の兄の伊周(三浦翔平さん)を関白に任命できなかったことへの「配慮」という描かれ方でもあったと思います。しかし、史実の藤原道長はおそらく戦略的理由によって、生涯一度たりとも関白に就いたことはありませんでした。道長には「御堂関白(みどうかんぱく)」という呼称まであるのですが、一度も関白にならず、しかし関白以上の権勢を振るい続けたのですね。そして、史実の道長が関白にならなかった/なれなかったのは、ドラマのように権力欲が薄かったのではまったくなく、むしろその真逆といえる理由でした。
一条天皇が中宮・定子より、母・詮子に説き伏せられてしまったので、道長を伊周よりも上位にするという取り決めがなされた時点はともかく、その後の道長も天皇の相談役にあたる関白職に就かなかったのは、政策や人事を決定するいわゆる「公卿会議」での発言権を失わないためだったと考えられています。関白、あるいは摂政といった臣下における最高職に就いてしまうと、会議に出席する権利を失ってしまうからですね。そういう重要な仕事ほど部下には任せず、自分の手で取り仕切りたいというのが道長という御仁だったわけです。
また実は、摂政・関白といった(そして実は征夷大将軍などもそうなのですが)、日本史を牽引する印象が強い役職ほど、現在における各種の法律に相当した「律令」には記載がない「令外官(りょうげのかん)」というもので、法的に「この職についている人物は、こういう存在で、こういう権限があるよ」という具体的な根拠がない役職だったことには留意しましょう。