当時の陰陽道でいう「式神」とは、まさにああいう壺のようなものにすぎず、現代のファンタジーに出てくるような妖怪変化を自在に使役するものではありませんでした。式神とは、呪いを発生させるための装置――現代風にいうと、ターゲットの身辺にポケットWiFiみたいな装置を配置し、そこから呪いの怪電波を照射して弱らせるという構図を想像してもらったほうが理解しやすいかもしれません。

 ドラマの壺の「モデル」としては、晩年の道長がとある陰陽師の手で呪詛され、その式神を安倍晴明(ドラマではユースケ・サンタマリアさん)が見事に発見するという経緯が、鎌倉時代前期に成立した『宇治拾遺物語』に見られます。この書物に式神として紹介されているのは、2つの土器を重ね、その内部に「呪」と書いた黄色い紙をひねったものを入れただけの代物でした。まぁ、安倍晴明などの平安時代の陰陽師が、実際にどんな式神を使っていたかについては、完全に門外不出の秘伝で、本当のところはよくわかりませんが……。

 ドラマの伊周は道長を訪ね、呪詛などはしていないと泣きながら訴えていました。また、史実でも伊周は大宰権帥への左遷人事をなかなか認めようとせず、逃げ回っていたことが知られますが、それは花山院襲撃事件はともかく、呪詛事件などは完全な冤罪であるという抵抗でもあったのでしょう。

 当初は弟の隆家も兄同様、何者かによって(通説では道長によって)捏造された「罪」を否定し、一条天皇の中宮・定子(高畑充希さん)の屋敷にこもっていましたが、兄よりも早期に「罪」を認め、京都を出ています。しかし、彼は出雲権守に左遷されていたにもかかわらず、出雲(現在の島根県)には行かず、病気を理由に但馬国(現在の兵庫県北部)に滞在しつづけました。これも一種の抵抗だったと考えてよいでしょう。