このときの宴は通例どおり、三日三晩にわたって繰り広げられましたが、その最後の日に一条天皇から彰子に「従三位」という高い官位が授けられました。左大臣・道長の娘というだけで、まったく何の功績もない12歳の彰子にこれだけの官位が与えられるのは異例中の異例だったのです。

 この時点でも彰子の入内は表沙汰にはなっていませんでしたが、水面下で準備が進められている8月9日、身重の定子は出産のために、宮中(正式には職御曹司)を出て前但馬守・平生冒(たいらのなりまさ)の邸宅に移動することになるのですが、公卿たちが道中を警護してくれることさえありませんでした。

 まさにこの日、愛娘・彰子のライバルとして定子の存在を敵視している道長が、彼の宇治の別荘で宴を催すと言って公卿たちを招待した影響です。おまけにようやく見つけられた、定子の受け入れ先の平生冒の屋敷も、天皇の子を宿している定子には似つかわしくない、実に粗末な門構えで、本当の権力者・道長から睨まれることの恐ろしさを、定子や清少納言などの女房たちは噛み締める結果となりました。こういう史実の道長の陰湿さを、『光る君へ』ではどのように描くのか楽しみなのですが、描かれたとしてもナレーションだけで終わりそうな気もしますね……。

 この年の9月になってから彰子の入内がようやく公(おおやけ)にされました。ドラマの定子は彰子の入内計画を兄・伊周(三浦翔平さん)から聞いても余裕綽々で、史実の定子もそのように勝ち気に振る舞っていたのでしょうが、実際には不安は大きかったでしょう。そもそも道長が定子の妊娠中に、自分の娘を天皇に入内させる計画を発動させたのも悪辣ですよね。妻が妊娠中、もしくは出産直後に夫が女を作って云々……という話は現代でもよく聞きますが、そういう夫婦危機が起こりがちな時期を道長は絶対に逃さず、若い彰子を入内させようと狙っていたのだと思われます。