このように現在から見れば「塩対応」そのものに見えるやり取りですが、当時の貴族の間では、これでも充分に「脈あり」の対応だったのです。藤原兼家(ドラマでは段田安則さん)の「妾」であった藤原道綱母(同・財前直見さん演じる寧子)も『蜻蛉日記』の中に、最初は紫式部同様の「塩対応」で、「兼家さまを断ってやった」と書いていますから……。本当に「脈なし」なのはお断りの返事すら(ほとんど)ないという状態で、現在のLINEでいう「未読スルー」に相当します。

 ドラマの話に戻りますが、まひろ自身は周明との関係を「恋愛ではない」と明言しているものの、周明は彼女がまだ自分では気づいていない好意を利用しようと必死のようですから、近い将来に周明から傷つけられたまひろは、父親を置いて越前を去らざるを得なくなりそうです。史実の紫式部も2年にも満たぬうちに、父親を越前に残したまま、なぜか帰京して宣孝と結婚したのですが、その謎の部分の説明として、ドラマではオリジナルキャラクターの周明の「裏切り」を描くつもりなのかもしれません。

 さて今回、この連載の読者の多くが疑問に思ったのは、安倍晴明(ユースケ・サンタマリアさん)が「一条天皇(塩野瑛久さん)と定子中宮(高畑充希さん)の間に皇子が生まれる」と予言した部分でしょう。長保元年(999年)1月、一条天皇たっての願いで定子は規則を曲げて、後宮に呼び戻され、その直後に第二子を懐妊しました。一条天皇と定子の関係の再燃に「批判が出た」と書物にはよく書かれていますが、公家の日記などには具体的には残されていない(もしくは削除された?)ようですね。

 興味深いのは道長の対応です。当時、12歳になった長女の彰子(見上愛さん)を一条天皇に入内させる計画を進めていた道長は、定子が第二子・敦康親王を出産するため、彼女が当時の実家に相当する「竹三条宮」と呼ばれる別邸に宮中から移動するという当日、通例であれば道長もその行列に加わらねばならなかったにもかかわらず、不参加でした。しかも道長は「その日、宇治にある私の別荘で宴を催す」と言い出し、多くの公卿たちを招待したそうです。しかし一条天皇と道長の板挟みとなった大半の公卿たちは屋敷に閉じこもってしまい、実際に宴に参加したのは、道長の異母兄弟の藤原道綱(上地雄輔さん)と、かつては中関白家の派閥にいたものの、道長が彼らを追い落とすのに貢献したと考えられる藤原斉信(金田哲さん)だけだったとのこと。