この歴史的背景について、はっきりと語った史料はありません。
しかし、日本が中国との国交を絶ったのは、寛平6年(894年)、約260年続いていた遣唐使の廃止がきっかけです。理由は遣唐使の船旅に事故がつきものであること、そして中国国内の戦乱だったといわれています。遣唐使の保護は名目で、激しくなる一方の中国の戦乱が飛び火してくることを日本は恐れたのでしょうか(遣唐使の廃止から十数年後に唐は滅亡してしまっています)。
またその後、宋王朝の成立後でも日本が中国との国交樹立に積極的ではなかった理由として、推測できるのは中国側の中華思想です。世界の中心に咲き誇る花=中華ですから、王朝が代わったところで、諸外国はへりくだって中国の皇帝に貢物を差し出し、返礼の品が与えられるだけという「朝貢貿易」が中国との公式な貿易になってしまうため、私貿易が盛んになるのは致し方ないことだったのでしょう。
それゆえ、ドラマにあったように、宋の宮廷の「宰相さま」が商人を日本に派遣し、公式貿易開始を目指して云々……という描写に史実性はないと思われますが、宋や元の時代、民間の商人による私貿易はかなり盛んで、宋側も民間業者が私貿易をやる分にはむしろ積極的に支援するという立場を取っていました。それゆえ、紫式部や藤原道長(ドラマでは柄本佑さん)の時代以降、平安時代後期になればなるほど、多くの商人が日本にやってくることになりました。越前国の敦賀でも九州の博多に並ぶ交易が行われ、宋人たちが多く滞在するようになったとか。
それほど日本の有力貴族たちは私貿易を多く行っていたのです。人気の輸入品のひとつは「宋銭」――つまり質のよい貨幣です。平清盛の一門は宋銭の輸入を通じて財を築いたのは有名な話ですね。こうして中国から輸入された銭貨は、室町時代くらいまで流通していました。室町時代以降、つまり宋王朝の滅亡後は、明王朝が発行したお金が「明銭」として輸入され、日本国内でも信頼性の高い貨幣として流通しました。