『枕草子』「故殿の御服の頃」には、清少納言が仕える中宮定子が、6月末の御払(おんはらい)という儀式のため、内裏の建物を出て、その南方に位置する太政官の朝所(あしたどころ)に宿泊したときの思い出として、早朝から女房たちが庭に出て遊んだという記述が出てきます。また、彼女たちの姿を見つけた若い貴公子たちが、よりよく見ようと高いところに登ったという記述もありますね。女房たちも特に恥ずかしがる様子もなく、清少納言は「公達たちには、庭に天女が下りたように見えたのではないか」などと書いているくらいです。

 それにしても、装束姿の女性が、広い庭にせよ、野外など歩き回れたのでしょうか?

『枕草子』の該当箇所にも「薄鈍色(うすにびいろ)の裳(も)や唐衣」、「紅の袴」などとあるのですが、当時の女房たちは、ドラマで見るような装束の着こなしを常にしているわけではなく、時と場合によって、歩きやすいように袴なども(それこそドラマで市場を歩くときのまひろのように)端折って着ていたのかもしれません。この連載でも何回か言及しましたが、実は紫式部や清少納言の時代の装束や、その着こなしについては不明な部分が多いのです。

 一般的には、御簾の内に籠もり、男女ともにインドアで文系というイメージが強い平安貴族たちですが、必ずしもそうではなかったという史実を『光る君へ』では巧みに表現しようとしているようですね。

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