次回のドラマに打毬のシーンが登場するのは、寛和2年(986年)の5月30日と、6月6日に花山天皇が騎馬打毬を御覧になったという記述が『本朝世紀』などの史料に見られるからでしょう。
同書によると、雅楽の楽隊が「打毬楽」を演奏する中、騎馬姿の舎人たちが打毬競技に興じたのは当時でもたいへん珍しい機会だったそうです。藤原義懐など身分が低い者たちの抜擢で宮中に波紋を呼んだ花山天皇は、自身の権威付けのため、盛大かつ正統的なルールにのっとった打毬の会を復活開催させたのだと思われます。
『本朝世紀』には、「右大臣(=藤原兼家)、玉打出於庭中之間」――右大臣が毬を毬場に投げ込んだとか、「兵衛官(=武官たち)」などが競技に参加したという記述が見られます。誰がどういうふうに活躍したという具体的な記述はないのですが、ドラマでは道長や公任といった視聴者に大人気の「平安のF4」のメンバーも活躍したのでは……という見立てなのでしょう。
ちなみに唐代の中国では、高貴な男性だけでなく、女性たちも騎馬打毬を楽しんだという記述があり、彼女たちの競技中の姿を表現した美術品も多く製作されました。貴婦人が自分に仕える女官たちに、騎馬打毬を教えることもあったようです。意外かもしれませんが、中国本国では隋代、唐代と儒教の影響力が控えめでした。
一方、日本の貴族の女性たちは……というと、さすがに当時の史料には打毬に興じる女性たちの姿は登場しませんが、それでも現代人が彼女たちに抱きがちなインドアなイメージとは異なり、実際はもう少しアクティブだったのではないかと思える記述が『枕草子』にはあります。