3日連続で会っても=セックスしても、なおも会いたいと思える相手とは非常に相性がいいわけですから、ある意味、合理的かつ興味深い習慣だとは思います。史実に見る2人の結婚は永延元年(987年)12月16日のこと。道長は数え年22歳で、倫子は24歳でした。

 道長の妻となった倫子は、康保元年(964年)の生まれです。道長との夫婦仲は非常によく、そして倫子が健康体であったことから、2人は多くの子どもたちに恵まれました。道長があれだけ出世できたのも、倫子が多くの娘を産んでくれ、その娘たちを天皇や、高貴な男性の妻の座に据えることができたからだといわれています。

 前回もお話しましたが、平安時代の貴族にとって、男の子は家が途絶えない程度に授かっていれば問題はなく、逆に数が多いと兄弟間で喧嘩をしてしまうので、親としては都合が悪いのです。しかし女の子はのちのち政略結婚のコマになってくれるので、何人いてもありがたいのですね。

 昔の日本では、現代以上に妊娠・出産は女性にとって命がけの行為だったのですが、倫子は道長との間に44歳にしてなお、嬉子という末娘を授かっており、その後も20歳(!)に見えるほどの若さと美貌を保ち続けました。