しかし同年(1592年)7月ごろ、秀吉軍の弱点である水軍が朝鮮水軍に敗れ始め、民衆の反乱も凄まじくなってきます。9月には、朝鮮政府からのSOSに応えた明国の救援軍が到着し、秀吉軍はあっという間に当初の勢いを失いました。

 そして翌年(文禄2年・1593年)になると、どちらからともなく休戦と和睦の話が出始めます。同年5月に、明国から日本にやってきた使者・楊方亨(よう・ほうきょう)、沈惟敬(しん・いけい/ちん・いけい)らが秀吉と対面しました。休戦自体には同意した秀吉ですが、講和の条件として、「明国の皇女を日本の天皇に嫁がせろ」「朝鮮の王子と大臣を日本に人質に送れ」「朝鮮や明国は鎖国を解いて、勘合貿易を再開しろ」という、あくまで圧勝した者が完敗した者に突きつけるような、常識を大きく外れた内容を提示したため、交渉は破綻してしまいます。

 これには明国からの使者たちは困り果てました。明の皇帝も、秀吉が降伏した証を強く求めていたからです。ちなみに、この時の日本側の主たる交渉担当者は、小西行長でした。ドラマでは行長を池内万作さんが演じる予定で、公式サイトでは行長について〈明との和平交渉では三成とともに尽力する〉とありますが、あらすじにある「石田三成たちが結んだ和議」という表現からすると、ドラマでは三成(中村七之助さん)がこの交渉を主導する立場として描かれることになるのでしょうか。

 休戦から3年あまりが流れた慶長元年(1596年)、ふたたび明国からの使者たちが日本を訪れました。秀吉はついに明国と朝鮮が降伏したと喜んでいたのですが、彼らが持ってきたのは、「日本を明の属国として認め、冊封体制に組み入れてやる」という思わぬ通達でした。