ひとつ、ステップが抜けている感じがするのだ。オガワを不適切な言動を繰り返す不適切な人間として登場させるのはいい。だが令和の人々が、なぜそんなオガワの話に耳を傾けるのか、オガワはどうやって令和の人々を振り向かせるのか、そのステップが抜けている。居酒屋の横の席で〆鯖を200人前注文してひとりで怒鳴り散らかしている中年男なんて、クスリやってるとしか思えないでしょう、普通。(あ、蝉之介さん……)
こういう筋立ての場合、「昭和の普通」と「令和の普通」との間での衝突があって、それによって展開なりメッセージなりが発生していくはずなんですが、オガワも会社員男女も「時代の普通」を背負えてないので、「話し合いましょう」vs「殴り合いましょう」というメッセージの対比も上滑りしてるし、この物語でもって世代間の相互理解を促そうという意図なら、第1話に限っては失敗していると思う。ミュージカルになるのは楽しくていいけど、堂々と言いたくないんだろうなとも思っちゃうし。
クドカン脚本で阿部サダヲ主演なら、こういうキャラクターになるのはもう手癖みたいなものだと思うし、世界観の中でバリバリの異物としてなら輝くキャラクターだとも思うんですが、時代や世代を背負わせる普遍的な役割には不適切だなと感じました。
難しそうだな、第2話を待ちましょう。
(文=新越谷ノリヲ)