現在の皇居で、皇后さまが育てられている「小石丸」という品種の蚕は、外国産の蚕に比べ、格段に糸が細いのに強く、しなやかだと知られるように、平安時代の蚕も小石丸と同様の性質を持っていたのではないでしょうか。ゆえに平安時代の「十二単」は8キロ程度だったそうですが、それでも女性の身には十分重たく、それを着用して舞を優雅に踊ってみせるのには骨が折れたことでしょう。

 平安時代中期ごろ、舞姫たちには自邸での稽古だけでなく、天皇の眼前でリハーサルも課されていました。11月の暦の「中の丑の日」、舞姫たちは宮中に上がり、ほぼ天皇だけが御覧になる前で、舞を披露します。これを「帳台の試み」と呼びました。しかし、この行事について記した『江家次第』という書物の中の「五節帳台試」で気になるところを要約すると「天皇が師局つまり大師の宿所に出御する」というあたりだと思われます。

 なぜ、「宿所」に天皇が出向くのか? と思うかもしれません。そもそも「帳台」とは、天皇など高貴な方の座所にして寝所でもありましたよね。

 20世紀の大学者・折口信夫は、「帳台の試み」とは「舞姫をして、天子様が、女にせしめる行事」――つまり、人目を遮断した密室において、天皇と舞姫たちの間に“男女の関係”が発生する機会だと考えていたようです(折口信夫『大嘗祭の本義』)。