史実の平安時代の宮廷において、もっとも重視されていた毎年11月の「新嘗会(=しんじょうえ、今年も新穀が得られたことを神さまに感謝する神事)」など一連の儀式に登場する舞姫たちには、宮中の熱い注目が集まりました。

 舞姫は通常、公卿の家柄の貴族(=最上流貴族)から2人、殿上人と受領の家柄の貴族(=上流~中流貴族)から2人の合計4人が選ばれます。天皇が即位して、最初に迎える新嘗会は特別に「大嘗会(だいじょうえ)」と呼びますが、この大嘗会の時には、殿上人と受領から、特別に1人増やして3人の女性が選出されることになっていました。現在では毎年11月23日、全国の神社と皇居において「新嘗祭(にいなめさい)」が行われていますが、この行事の源流となっているのが平安時代の新嘗会なのです。

 平安時代では、陰暦11月の「中の丑の日」に、舞姫と彼女に従う大勢の付き人たちの一行が、宿所とされた宮中の常寧殿(じょうねいでん)に入ります。ドラマの予告編でもいわゆる「十二単」姿のまひろが映っていましたが、紫式部が生きた平安時代中期において、もっとも重要な儀式で女性が着用する最高礼装としては「十二単」ではなく、古式ゆかしい奈良時代風の「物具装束(もののぐしょうぞく)」が用いられていたようです。まぁ、史実では紫式部が舞姫経験者だったという記録はないので、装束にも想像の余地があるということで。

 お話のついでに、「十二単」――これも正式には五衣唐衣裳(いつつぎぬからぎぬも)といいますが、この装束を成人の儀式でまとったまひろが、「重たい」と文句をいった姿を覚えておいででしょうか。たしかに現代の「十二単」は20キロもあるといわれています。しかし平安時代の装束は、現代よりも6割ほど軽く、生地が薄かったようですね。