『D.P. -脱走兵追跡官-』すべての登場人物が心に残る
物語はジュンホとホヨル2人を中心に進んでいくが、タイプが全く異なる上官3名、イジメの中心人物、心優しき漫画オタクの先輩とその友人、脱走兵と彼らをとりまく人々、兵士たちに警察官etc…すべての登場人物が印象的だ。
最も感情移入しやすいのはD.P.2人と脱走兵だが、どのキャラクターも立場や思考を理解できるだろう。 その理由は、各キャラクターの設定が明確なのに加え、縦社会、閉ざされた組織、暴力、カースト、貧困、いじめ…と日本人でも理解できる社会問題に切り込んでいるからだと思われる。
『D.P. -脱走兵追跡官-』被害者が加害者になる悲しさと見て見ぬふりをする「傍観者たち」
捜査の中で明かされる脱走の理由は、いじめや尊厳を踏みにじられたトラウマが中心だ。
主人公や捜査の視点から見るといじめる側を敵視してしまうが、加害者たちは口を揃えて「自分も同じ目に合ってきたのに何が悪い」と言う。 日本でも同じことはよく耳にするので「いじめの負の連鎖」はテーマとして非常にわかりやすい。
一方で、ラスト6話に付けられたタイトルは「傍観者たち」。
このドラマはよくあるいじめをテーマにした作品のように傍観者にスポットライトが当たる描写は少ない。 6話も脱走兵や軍内のいじめ、事件に真っ向から向き合う人物の登場やそうしたシーンが多い。
しかし、私はドラマを完走した後にこのサブタイトルに気付いてハッとした。
1話の冒頭シーンから「誰か止めてあげられる人はいないのか」「1人でも被害者を庇えば堰を切ったように全員が盾になってあげられるのではないか」と事あるごとに思っていたのである。
そしてそれはラストの衝撃シーンでも強く沸き上がった感情だったのだ。
『D.P. -脱走兵追跡官-』「社会派ドラマ」の持つ意味と日韓の感じ方の違い
国の兵役制度の真実を私は知る術もないわけだが、実際の兵役済み韓国人男性のブログなどを見るとその経験談は様々であれ、多くがドラマを見て厳しい生活を思い出したようだった。トラウマやPTSDを発症したという人もいたという。
また、本作では短いシーンで終わっていたが、富裕層や権力者などの特別扱いも当たり前だとか、後半の上官3名と警察含む立場ある持つ者たちの利害関係描写のほうがリアルだといった声も見かけて、自分との視点の違いに納得した。
他国の私にとっては、このドラマは軍生活を視覚で学べる場であり、感情的に視聴すればヒューマンドラマ要素が強いし、社会派ドラマという点でも兵役により起こるいじめや自殺がテーマと受け取るのが一番現実味があり分かりやすいが、韓国の人たちにとってはもっと多岐にわたるテーマが散らばっていて、「社会派ドラマ」の意味合いがさらに強いのかもしれない。
そしてそれを私が理解するためにはきちんとした知識やリサーチが必要なのだなということを改めて考えさせられた。