「学歴の暴力」の“オリジナルメンバー”である東京大学卒のなつぴなつ、京都大学卒のえもりえも、名古屋大学卒のあずきあずの3人。彼女たちは、それぞれ高偏差値の旧帝大に現役合格し、学部をストレートで卒業した後、大学院の修士過程を卒業している。その才女ぶりは幼少期から発揮されていたのだろうか?
――はじめに、大学までのご経歴について聞かせてください。みなさんは、幼少期から“賢い”子どもだったのですか?
なつぴなつ(以下、なつぴ) 私は愛知県名古屋市内で生まれ育ち、公立小学校から中高は私立南山学園に通い、東大に進みました。幼少期は、読み聞かせしてもらった絵本の内容を丸暗記していたぐらいで、そんなに面白い話はないんですよ(笑)。
小学校では、ペーパーテストは基本的に満点でした。でもそれが特別だという認識は自分にはなくて、60点とか70点とかを取る子はウケを狙っているのかと勘違いしていて。むしろ引っ込み思案で、授業でも手を挙げたりしないのに勉強だけできるので先生ウケは悪くて、通知表の評価もあまりよくはなかったです。
えもりえも(以下、えもり) 私は小さい頃、“学歴厨”だったことがありますよ。岐阜県の教育熱心な家庭に育ったので、幼稚園の頃に「めばえ教室」という知能指数を上げるための教室に通うことになったんです。そこで知能指数を測ったら数値が高くて驚かれ、それ以降、出会う友だちすべてに「知能指数いくつ?」と聞いて回っていたそうです(笑)。
でも小学校時代はなつぴと同じで、成績はいいけど消極的な子どもでした。小中高と公立校で過ごし、京大に進学しました。田舎って公立の進学校がいちばん偉くて、「私立高校は勉強ができない人が行くところ」というイメージが根強いんですよね。
あずきあず(以下、あずき) 私は静岡県西部出身で小中高と公立校に通い、名古屋大学情報文化学部に進学しました。うちのエリアでも、私立高校は同じような認識でしたね。
私も、小学校ではテストの点はいいけれど目立たない子でした。一方で、なんでも1番になりたい気持ちもあって、テストで満点以外を取ると、点数の部分を破って捨てていました。