「委細の段、聞(きこ)し召し届けられ候。其の方進退の儀、何(いず)れの道にも迷惑せざる様に申し付くべく候間(略)、小笠原右近大夫(=小笠原貞慶)と弥(いよいよ)申し断じ、越度なき様」

 意訳すると、「真田昌幸、そなたの訴えについては十分に理解した。そなたの今後については、どういう方向に転がっても困るようなことがないように手配してやるから、今は小笠原貞慶とよくよく相談して、失敗しないように動きなさい」といった感じでしょうか。

 この小笠原貞慶は、石川数正と同時期に徳川家から秀吉のもとに出奔した人物です。貞慶は本能寺の変の後、織田方から徳川方に鞍替えしているのですが、その取次役を担っていたのが石川数正でした。その貞慶が数正と同時期に秀吉のもとへ行ったとなると、すべては秀吉が仕組んだ計画だったのではないか……という疑いも出てきますよね。少なくとも、真田昌幸に手紙を書いた10月17日の時点で、秀吉は小笠原貞慶の「裏切り」を仄めかしているわけで、名前は出ていないものの、この時点で数正もまた家康のもとを離れることを考えていた可能性は考えられます。

 また、この手紙からは秀吉が言外に「徳川軍はもうすぐ退却するであろう」と昌幸に伝えているようにも読める気がします。「越度なき様」という表現がまさにそれで、「失敗しないように」という意味だけでなく、その裏に「今、徳川軍を果敢に攻めたりするような過度な行動はやめておけ」というメッセージも込めているように感じられるのです。