◆貴司の「ありがとう」と赤楚君の「ごめん」
職業柄、貴司は、言葉に心を配る。第22週105回で「言葉がいっぱいあんのはな、自分の気持ちにぴったりくる言葉を見つけるためやで」と言った貴司だったが、プロの歌人でさえ、俗に言うスランプはある。幸せな夫婦生活があり、子どもが生まれ、父親になったとき、彼の心は幸せで満たされる一方で短歌が詠めなくなるのだ。
結果的に何年も詠めず、ついに舞に短歌をやめようかと相談する。貴司の瞳が潤み、いかにも赤楚君らしい苦悩の表情から「ごめん」がこぼれる(第24週121回)。
貴司の言葉で視聴者が一番多く耳にしたのは、おそらく、あの温かな微笑みまじりの「ありがとう」だ。それがこの場面では「ごめん」になる。ありがとうとごめん。シンプルだからこそ、言葉の原点のような響きがある。最終週で巌を訪ねてパリに赴いた貴司は、狭い部屋の中で自分を探した。貴司にとってこの「ありがとう」が探し続けた言葉なら、「ごめん」は赤楚衛二にしか込められない魂だ。
最終話を見終えた今、歌人を祖父にもち、すくなからず短歌の世界を知る筆者は、歌人、夫、父親とさまざまな表情を毎朝見せてくれた赤楚君に最大の感謝を込めてこう言いたい。「貴司君、ありがとう」。
<文/加賀谷健>
【加賀谷健】
音楽プロダクションで企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆している。ジャンルを問わない雑食性を活かして「BANGER!!!」他寄稿中。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:@1895cu