◆短歌は、人の気持ちを一番表現しやすい

 ここでひとつ、問いを浮かべてみたい。貴司は、文学の中でも、なぜ小説や文芸批評よりもマイナーと言える短歌を選んだのだろうか?

 貴司が憩いの場とした古本屋「デラシネ」の主人・八木巌(又吉直樹)は、彼の短歌について、「心にすっと溶け込む歌」と評した。なるほど、これは、言い得て妙である。貴司の一首を読んだ人が感じるのは、作者の心にふれる手触りだ。短歌は、作者の感情や心のあり様(動き)をかなり繊細に表現する。

 筆者の祖父・増谷龍三は、前衛短歌の歌人だった。祖父と親交が深かった現代短歌の巨人・塚本邦雄との往復書簡(塚本は、本作の舞台・東大阪在住だった)が今、手元にある。歌ではなく手紙文ではあるが、祖父に対する愛情を綴るリズムに書き手の心を感じる。日本文学史に名を残す塚本のような偉人でさえ、こんな素朴な気持ちをのぞかせるもの。

 そう、歌人は、常に心を見せてくれる。特定の相手を想う心は特に読み手と共有できる。短歌は、人の気持ちを一番表現しやすいのだと思う。貴司が短歌に自(おの)ずと向かった理由もここにある気がする。