「サイダー(사이다)」より強いもの

──ランさんはなぜ、お姉さんの人生まで考えてしまうんでしょうね。少なからず、一度は失礼な質問を投げかけてきた相手を、どうしてそこまで考えるのか。

 さらに遡れば、友人カップルが失礼なことをされて教室を去ってしまった時点で、ランさんも一緒に辞めてしまっても不思議ではなかったように思います。そういう出来事があったにもかかわらず、ランさんがその教室に通い続けている理由が気になります。純粋にバドミントンを習いたいからなのか、それとも「一般」の世界を見ることが目的なのか。

イ・ラン:そうそう。本当に、私自身もそれがよくわかならくて。

 市民体育館って、不特定多数が集まる空間なんですよね。知らない人同士だけど毎週顔を合わせて楽しくバドミントンをやるために、友だちになるまでは行かなくても良好な関係性はギリギリ保っていたい。そういう場所だと思うんです。

 ちょっと話がズレるんですけど、私の家の近所に小さい自転車屋さんがあるんですよ。よく私も、自転車のメンテナンスをやってもらっているんですね。そこでいつもお世話になっている自転車屋のおじさんが、2月にトルコへ旅行に行くと言ってお店をお休みしたんですけど、その直後にトルコで大地震が起きて。そのおじさん、今も帰って来ないんですよ。生きているのか、帰って来るのか、それとも亡くなったのか、私は地震があった日から今までずっと、町で聞いて回っているんです。

 なんていうか、それが社会だと私は思うんです。だから、たまにしか顔を合わせない自転車屋さんのおじさんのことも、お姉さんの人生についても考えるし、コーチにクィアのことを説明するし、バドミントン教室に通い続けているんだと思うんです。そういう、すぐには理解したり、理解されたりできない人も含めて、不特定多数の人と会話をし続けられるような社会で生きていきたいんです。