明智勢が1万~2万ほどの大軍で本能寺を取り囲んだという記述が、同書だけでなく多くの史料に見られるのですが、これは盛りすぎた数字だと思われるからです。この当時の本能寺の変を取り囲む道路の幅は広くて5間(9.1メートル)、狭くて3間(5.4メートル)程度だということは判明しているので、騎馬隊を含む1万~2万ともいわれる明智の大軍が、幅狭な道路に入り込み、寺を取り囲むようなことは難しいでしょう。
また、本能寺は全焼したという説が『信長公記』などに見られますが、寺の周囲は下京の一般住宅ですから、四辺がそれぞれ120メートルもある巨大寺院が全焼すると、大規模な類焼が起こるはずです。しかし、そういった記録は見当たらず、大規模な火事の痕跡は見られないという跡地の調査結果と合わせて考えると、本能寺全焼の記述も疑わしいといえます。もっとも、現在の本能寺は、天正19年(1591年)に豊臣秀吉の命により、現在の中京区下本能寺前町に敷地を移動・再建されたものであり、全焼していないのだとしたら、なぜ秀吉がそのようにしたかは謎です。いわくつきの本能寺などは壊してしまって、本能寺自体も、寺という名前がついているだけの宿泊施設ではなく、僧侶がいる普通の寺としてちゃんと再開させてやろうという秀吉の判断だったのかもしれませんが、本当のところの事情は不明です。
日本史上、誰もが知る大事件にもかかわらず、本能寺の変について多くのことがいまだミステリーのままなのは興味深いところです。第27回のラストのシーンでは本能寺は炎に包まれていたようですが、本能寺の変そのものをドラマではどのように描くのでしょうか。
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