次回のあらすじには〈市から、あることを聞かされ、家康は戸惑う〉とあります。予告ではお市(北川景子さん)が「あなた様は兄のたった一人の友ですもの」と家康に語りかける場面もあり、実際、家康の中にも「信長憎し」の感情だけでなく、実は兄のように慕う気持ちも強かったのであろうと思われます。
第27回の安土城での“決闘”シーンとは、本心を見せなくなった家康と、どうしても彼の本心を知っておきたい信長が二人だけで語り合うという場面を指しているようでしたが、久しぶりに家康が信長の前で自分を「わし」、信長を「お主」とフランクに呼び、信長もそれを許していたのが印象的でしたね。「天下人」として苦悩し、「大変なのはこれからなんじゃ。戦なき世の政は、乱世を鎮めるよりはるかに困難」という信長のやつれた姿に同情してしまったのか、家康は涙を流していたようですし、次回の予告映像でも(おそらく、信長の死を聞いて)静かに落涙する場面が見られました。
本能寺の変の直前の時期に信長が気鬱だったというような記述は『信長公記』などの史料には見られませんが、それこそドラマのように誰かに殺される悪夢を見ていたり、いつか自分は殺されるであろうという覚悟と恐怖がつきまとっている状態だったのかもしれません。前回の本コラムでお話しした、安土城の女房を皆殺しにしてしまった事件は、晩年の信長の内面で何らかの異常が生じていた表れかもしれません。
第28回のあらすじには〈家康は、一世一代の決断を迫られる。そして迎えた夜明け、本能寺は何者かの襲撃を受け、炎に包まれ……〉ともあります。家康が何らかの理由で信長への攻撃をためらっているうちに、予告で「信長の首を取れー!」と号令をかけていた明智光秀(酒向芳さん)が多くの手勢を率いて本能寺に攻め入ってしまうという、我々がよく知る史実に沿った流れになりそうです。