かつて水があったとされる星=火星をテーマに置くことで、常にHenny Kがカラカラな状態になっていることが暗示されるのだ。

 日本語ラップにおける〈水〉の描写のバリエーションを超えて、Henny Kはカラカラの乾いた身体でたくさんの新たな〈水〉をあぶりだす。それは移ろいゆく風景としての〈水〉ではなく、あるいはビートとラップの調合を連想させる〈水〉でもなく、もっと泥臭い、関係性の中に身を投じた末の生々しい〈水〉である。

 生活や通俗の積み重ねからしか生まれ得ない真に猥雑な液体を描出するラッパーこそがHenny Kなのだ。

 思えば彼女は、麻凛亜女、Tomiko Wasabi、CARRECとの「V.A.N.I.L.L.A.」でも「汗水垂らして皿洗い/してた17の自分まだ消えてない」とラップしていた。ここにもまた、〈水〉の表現がある。

“汗水”と“皿洗い”――汗も、水も、酒も、体液も、ゲロも、彼女のリアルとしてすべて繋がっている。自らの原点である17の自分に思いを馳せながら、カラカラの身体を〈水〉で満たそうという欲望の結果、多彩な描写が溢れ出てしまうこと。これをヒップホップと呼ばずして、何と呼べばいいのだろう。