「長くつぼんだ彼岸花が咲き/空が代わりに涙流した日/2002年9月3日」(「花と雨」より)で“雨”と“涙”を重ねることで誰よりも悲哀に満ちた〈水〉の描写を成し遂げたSEEDAの出番だ。彼は、水のもうひとつの特性についてBESが歌った「beatzとrhymeが水と油」(「ILL WHEELS」より)というフレーズに着目し、「TERIYAKI BEEF」で「WISEはトラックと水と油/イルマリはトラックと水と油/名前も知らねぇよ水と油/日本語と英語が水と油」とアレンジした。
かくして、日本語ラップ史における〈水〉の項目には、ビートとラップの調合、あるいは相容れなさを連想させる説明も加わることになった。
BES、SEEDAからJJJへと議論を戻そう。上記2点――移ろいゆく風景としての〈水〉、あるいはビートとラップの調合を連想させる〈水〉――について、実はJJJはとある曲ですでに完璧なアンサーを出している。
「七色アスファルト叩く雨音/自由な発想/過ぎる景色にリズム感じてる/次のstepならば“We don’t care”/回転してBackする日はまた登り繰り返してゆくEveryday/てな具合に日々追いかけるWeekend/言葉とMind組んだシーケンス/転がる雲の上/水を切る石みたく/跳ねる音楽俺と人生」(KM「Filter」より)
【こちらの記事も読まれています】