先に、芸人として語らされることへの違和感を大久保が語った場面を引用した。彼女の違和感の理由は、一つには、自分は芸人というよりタレントとして活動してきたという謙遜があるのだろう。

 が、別の理由も読み取りたくなる。男性を中心に構成されてきたお笑いの世界、つまり“芸人”とは暗に“(男)芸人”のことであった世界をサバイブしてきた者として、芸人という肩書と自身の輪郭がうまく重ならない。そんな理由も、当人が意図しているかどうかは別として、ありはしなかっただろうか。

 半“素人”のような芸人として世に出てくる。リスクをはらんだ“下ネタ”や“セクハラ”を頻繁に繰り出す。“(男)芸人”のなかで“女芸人”として立ち回る。いずれも不安定な状況を、大久保はその高い空気読みの能力でサバイブしてきた。時代が移り変わっても彼女はそのバランス感覚で乗り切っていくのではないか。実際、以前よりも“下ネタ”などが穏健なものになった彼女のメディア出演が減っているようには今のところ見えない。

 「使い捨てなのよ、タレントなんて」というコメントは確かに常套句だ。しかし、そのような聞き慣れた理解しやすいフレーズを番組上での自身の役割を理解しながら後輩タレントに“説教”っぽく繰り出し、わかりやすく笑いにつなげるところに、まさに彼女が簡単に「使い捨て」されなかった理由が含まれているのだと思う。