現実で「考えたこともなかった」人に向けられている

 ある意味では、『怪物』では子どもたちが同性愛者であることを、サプライズ要素として置いているとも言える。そのこと自体に賛否両論はあるだろうし、その2人が危うい道を進んでいたことが判明する物語は、LGBTQの当事者を傷つける可能性がある。現実で苦しんでいる誰かが、本作へ批判的な意見を投げかけるのであれば、作り手はその声に真摯に向き合わなければならないとも思う。

 だが、『怪物』で重要なのは、やはりLGBTQの当事者以外の視点。それは劇中ではシングルマザーや担任の先生などの「気づいていない」人たちであるし、同様に現実の世界で「家族や周りの人がLGBTQの当事者かもしれないと考えたこともなかった」すべての人に向けられている。

 また、カンヌでクィア・パルム賞を受賞したことそのものが、ある意味ではネタバレになっており、観客が2人の子どもが同性愛者であると「気付かなかった」驚きを減じてしまっているのかもしれない。だが、それでも「気づき」そのものに意味があるので、この映画の価値はなんら損なわれてはいないだろう。

 それでいて、是枝監督は「普遍的な何かをこの映画を通して伝えるということをむしろ考えずに、小さな町の小さな小学校で起きた小さな事件を徹底的に掘り下げていくというか、そこに翻弄されていく人たちの話を丁寧にやろうという、そういう発想です」などとも語っている(文春オンラインの記事より引用)。特定の人にメッセージを届けるというよりも、あくまで人間が紡いだ物語から、見た人それぞれが主体的に考えることこそが重要な作品ではあるだろう。