『羅生門』的な構成から思い知らされるもの

 さらに重要なのは、映画『怪物』の本編で描かれるのが、「人は往々にして一面的なことしか見えていない」ことを突きつける物語であることだろう。

 主人公のシングルマザーは、息子がひどいことを担任の先生に言われたと学校側に必死に訴えるが、校長は死んだ目のまま判で押したような回答を繰り返し、先生本人も不遜な言動を繰り返すばかり。その後に学校側は記者会見を開き先生は「責任を取らされる」が、物語の本質はその先にあった。まるで黒澤明の映画『羅生門』のように、時間は遡り、ほぼ同じ時間軸での、別の視点の物語が語られるのだ。

 その別の視点では、今までとんでもない人物に思えていた先生が、実は生徒思いで、彼なりに実直に行動してきたことがわかる。さらに、子どもたちの視点に変わったときにも気付かされるのだ。「子どもたちのことを何もわかってはいなかった」と。

 その「わかっていなかった」ことには、シングルマザーの息子とその友達の、同性愛の関係もある。劇中で彼らは彼らで自分たちの大切な世界を守るための、しかし危険な行動をしていたことに加えて、(まだ小学生同士の子どもである)2人が同性愛者であることにも「思い至らなかった」ことも、観客は思い知らされるというわけだ。