信長には、負けず嫌いの勝頼との正面衝突を狙い、このタイミングで完膚なきまでに叩いてしまおうという狙いがあって、その魂胆を見抜いた勝頼は、ますます負けず嫌いを発動し、絶対に負けられないとばかりに正面突破を狙うほかなくなったのかもしれません。まさに「強すぎたる大将」の弊害です。

 撤退という策を選べなかった勝頼の判断ミスは、時間と共に致命傷になるまで拡大していきます。

 設楽原において徳川・織田連合軍と武田軍の正面衝突が始まったのとほぼ同時刻、酒井忠次率いる約4000の別働隊が、鳶ヶ巣山(とびがすやま)に置かれていた武田軍の砦を背後から急襲し、これを落城させてしまいます。次回のあらすじには〈わずかな手勢で武田の背後から夜襲をかける危険な賭けに出る〉とありますし、予告の映像でも、甲冑姿の酒井忠次が意を決したように酒(あるいは別れの水杯)を一気に飲み干すシーンがあり、「死ぬではないぞ」という家康のセリフも流れていたので、この忠次の大活躍はドラマでも描かれると思われます。