まずはやはり、武田軍が長篠城を落とせなかった(あるいは落とそうとしなかった)点でしょう。500人ほどしかいない長篠城が、1万あまりの武田軍に取り囲まれながらも、落ちなかった理由については定説がありません。

 ドラマでは、「長篠を奪われれば奥三河一帯を奪われる」要所であることが説明され、家康の小姓になった井伊直政(万千代、板垣李光人さん)が「長篠は我ら(=徳川軍)を引っ張り出すための餌」と勝頼の狙いを喝破していました。史実の勝頼も、もし徳川軍が長篠まで出張ってきたらそこで正面対決を挑み、徳川軍が長篠を見捨てるのであれば、そのまま長篠城を落とし、進軍の拠点にしようと思っていたフシがあります。つまり、徳川軍を誘い出すためにあえて長篠城を落とさずにいた可能性もあるということです。

 勝頼は、織田が徳川に加勢する可能性は低いだろうと見くびっていたのかもしれません。しかし、家康からの援軍要請にまともに応えていなかった信長が今度ばかりは2万とも3万ともいわれる援軍を率いて徳川軍と合流したのは、勝頼にとって衝撃だったはずです。ドラマでも「武田勢は我ら(=徳川軍)の3倍」と言及されていましたが、織田軍の加勢によって兵力差は一気に逆転してしまったわけで、普通ならば、そこでいったん長篠から撤退するのが戦のセオリーであるはずなのですが、勝頼はなぜかそうしませんでした。

 激戦の舞台となった設楽原は、その名のとおり平地です。ただでさえ敵の兵力は自軍より数倍以上にまで増えたのに、その兵力差が如実に表れる平地での戦いは武田軍にとって決定的に不利であり、それなのに家臣たちの進言を受け入れず、勝頼が撤退を選ばなかった理由は不明です。