「多様化」からもはみ出した愛の形を真摯に描く
近年は若手人気キャストを配した『マジで航海してます。』や『覚悟はいいかそこの女子。』(ともに毎日放送)などの青春ドラマのチーフ監督を務めるなど、作風を広げつつ順調なキャリアを歩んでいた井口昇監督が、なぜこのタイミングで自主映画スタイルでの創作に挑むことにしたのだろうか。井口監督が2時間にわたり、『異端の純愛』に込めた想いを語ってくれた。
井口「映画監督として、自分は恵まれてきたと思っています。でも、コロナ禍になった頃から、『自分を丸裸にして晒すような作品をまだ撮ってないんじゃないか』と考えるようになったんです。監督は撮影する度に『カット。はい、OK!』とジャッジをするわけですが、その『OK!』は誰に対してのOKなんだろうかと思ってしまう時期もありました。プロデューサーが求めるOKなのか、視聴者が見たい場面としてのOKなのか勘ぐってしまったりしました。青春ものを撮っても、僕自身はキラキラした青春は経験していないので、本当にリアルな姿なのかは分からない。でも、職人監督としてもしっかりした演出をしていきたいので、自分の心の芯みたいなものを養いたいと思ったんです。だから『自分の中で何がOKなのか』を一度把握して作品として形に残さないと、先にいけない気がしたのです。
それにコロナや戦争などで僕が死んでしまったら、僕の想いは何も残らなくなってしまうと思う気持ちが強くなってきたのもありました。そこで商業ベースではなく、完全なインディーズ形式で、僕自身がプロデューサーも務める映画をここで撮っておこうと決めました。劇場との交渉やクラウドファンド参加者へのお礼のグッズの手配なども、すべて僕が中心になって進めています」
今回、井口監督が商業映画とは異なる形での制作を決断したのには、もうひとつ大きな理由があった。3つのエピソードは井口監督の実体験をベースに、本人が抱えているフェティシズムの世界が描かれている。どれもナイーブかつマニアックな題材であり、また世間的なモラルからは逸脱したものばかりだ。井口監督はプロデューサーを兼任することで、一種のカミングアウトを行なっている。