それは、「両義的な自己との対話」を通して、いかに日々出会う闘争と圧迫を、その過程を、ラッパーたちが言葉に還元していったかということでもあるだろう。
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だからこそ、そこに真の「答え」はない。あるのは、考え悩み闘ったという「痕跡」であり、私は時として一元的かつ瞬間的な「答え」以上に、その痕跡を記すラップには「答えにならない答え」が秘められていると思う。
ゆえに、日々出会う闘争に対して応答したいくつかの創作表現にはとりわけ胸を打たれる。そこには、「答えにならない答え」が模範解答のような整然とした形ではなく、多方向に入り乱れながら切迫感に引きずられ描かれているからだ。
例えば、AOI ITOHの「特報!これがラッパーの力だ ヒップホップと政治のモーレツな死闘」と題されたヴィジュアル作品で描かれる〈闘争〉するフィメールラッパーの姿。「かっこいい」「かわいい」を体現するラッパーの死闘をハイパーな次元でデフォルメさせたヴィジュアルは、混沌とした魅力を放つ。