MaRI「LIL DICK」

 枠組み論への懐疑を設定することで、ヒップホップの多面性を掘り起こす作業と近しい方法は、韻踏み夫「ひとつではないヒップホップの性」からも読み解ける。〈内容〉〈形式〉という側面で捉えた場合、これまでのヒップホップのジェンダー/セクシュアリティ分析が前者に偏っているという問題意識によって貫かれた論考は、フロウの存在論的な独自性を発見することでヒップホップに隠れたクィア性を照射する。

 先に「近しい」と書いたのは、これまで盛んに行われてきた「枠組みの布置」が「内容」と結託しやすいという私のやや強引な結びつけによるものかもしれない。

 けれども、ミーゴスとElle Teresaのリリックにおける意味性の違いを例に挙げつつ時に繊細に、そして大胆に展開される論は、やはり「内側から」のアプローチによって焚きつけられ駆動しているのではないか。