こうした家臣たちのおかげで家康は命からがら浜松城に帰還を果たしました。『御実紀』によれば、このとき家康は「まだ外にいる生存者が城の中に入れず絶望するからダメだ」といって閉門を絶対に許さず、門の内外に松明を焚き、明るくさせました。その後の家康は湯漬け(=いわゆるお茶漬けのような簡易食)を三杯もかきこんだのち、城の外にまで聞こえるような大イビキをかいて寝てしまったそうです。これが軍略にいう「空城の計」……あえて城門を開けることで敵の警戒心を誘う策として機能し、訝しんだ武田軍は反撃の可能性を恐れて攻め入って来なかったので、家康たちは辛くも生き残ることができた……というオチがついています。

 こんな伝説じみた逸話が『御実紀』で紹介されているように、信玄が風前の灯となった家康の息の根を止めなかった理由について、定説はありません。『御実紀』では、信玄の侍大将である馬場信房という武将が、「徳川殿ほどの武士はいない。この戦いにおいて徳川軍は惨敗したが、武田軍に怖気づかず、主従すべてが善戦したのがその証しだ。徳川を厚遇し、手を結んでいたほうが武田にとってよかったのでは(意訳)」と語った言葉を引用しており、それを聞いた信玄の心の内で何らかの変化が起きたことを示唆するに留まっています。

 ドラマの次回・第18回は「真・三方ヶ原合戦」と題されているので、史実をベースとしながらもおそらく大胆な創作も光るような内容となるのではないかと想像されます。なお、浜松城に帰還したとき、家康が恐怖のあまり脱糞までしていたのを大久保忠佐(おおくぼ・ただすけ)が発見し、「糞をおもらしになったか」となじったというあまりに有名な伝説があります。その初出は江戸中期、17世紀半ばに書かれたとおぼしき『三河後風土記(みかわごふどき)』で、以前にも指摘したとおり、事実であるかはかなり怪しいところですが、ドラマの家康はお腹が弱い設定となっているため、このエピソードが登場するかも注目されるところです。家康の敗走劇がどのようにドラマで描かれるのか、期待して放送を待ちましょう。

<過去記事はコチラ>