透明ガラスとすりガラス
その居酒屋はコロナ禍で休業が相次ぎ、数カ月前、ついに店を閉めてしまった。女将が老齢だったこともあるだろう。その後、建物には大々的な内装工事が入り、オーナーが変わって小洒落たカフェがオープンした。入り口は透明ガラスの引き戸。表から店内の様子がよく見える。新規オープン店だけに、通りすがりの一見さんも入りやすくする工夫だ。
カフェの前を通りかかった時に気づいた。老女将の居酒屋も同じく引き戸だったが、透明ガラスではなく、すりガラスだったことに。外から店内は見えない。ただ、すりガラス越しの光にはなんとも言えない温もりがあり、漏れ聞こえる常連たちの笑い声はいつも楽しそうだった。
数年前、初めてその居酒屋に入った時のことを覚えている。勇気を出してガラガラと引き戸を開け、店内を見回して1秒で理解した。ここは絶対に居心地がいい場所だ。果たして、その通りだった。
中が丸見えの透明ガラスではなく、よく見えないすりガラス。1本の通路でソフトに隔てられた川岸とデイケアセンター。外界とつながっていながら、適度に隔てられていること。この、絶妙な遮断具合がもたらす、絶対的な居心地の良さ。どんなに嫌なことがあっても、ここに来さえすれば安心して息ができる、ここは安全だと確信できる場所。
ケンちゃんはまだあの街に住んでいるのだろうか。ケンちゃんが安心して「実は俺が作曲した」と気分良く話せる――セーヌ川に浮かぶアダマンのような――場所が、他に見つかっていればいいのだが。
『アダマン号に乗って』
監督・撮影・編集:ニコラ・フィリベール
*第73回ベルリン国際映画祭 金熊賞〈最高賞〉受賞
配給:ロングライド
4月28日公開
longride.jp/adaman/index.html