心にストレスをかけない方法

 心が疲れている人間は、物事を0か1かで決めがちだ。良いか、悪いか。成功か、失敗か。だが本来、物事は0か1ではない。白と黒の間に無限のグラデーションがあるように、「何か」と「何か」は線を1本引いて区切れるようなものではない。

 しかし心が疲れると、そういう膨らみやしなやかさ(いわゆる「レジリエンス」)のある思考ができなくなる。思考が単純化し、結論は極論化し、ネガティブに振り切った極端な悲観論に頭が覆い尽くされる。

 境界をはっきりと示さないこと、社会と接続していながら接続していないこと。これは、心にストレスをかけないで毎日を送るための技術だ。だからこそ、高価なノイズキャンセリングイヤホンが売れ、皆マスクを外さず、匿名や鍵付きのSNSに人が集う。いずれも「社会とつながりながら、任意に拒絶する」ことを実現する方法である。

 そもそも、精神疾患者と精神疾患でない者との境界とて、線1本引いて区別できるものではなかろう。

ケンちゃんのこと

『アダマン号に乗って』に登場するある精神疾患の男性は、ヴィム・ヴェンダース監督の『パリ、テキサス』(84)に登場する兄弟のモデルは自分と兄だ、とカメラの前で主張する。曰く、「ヴェンダースの映画(注:『パリ、テキサス』)に出てくるトラヴィスとウォルト。彼らはレーガン時代のアラン(注:彼の兄)と僕だ。だがヴェンダースはそれを誰にも言わなかった」

 このシーンで、筆者はケンちゃん(仮名)のことを思い出した。ケンちゃんとは、かつて都内の某私鉄駅前にあった、ある家庭的な居酒屋の常連客のことである。男性で、年の頃は当時推定で60代後半。店から徒歩圏内に住んでいるようだった。

 ケンちゃんは、「◯◯◯◯の『△△△△』というヒット曲 は、実は俺が作曲した」と豪語していた。◯◯◯◯は日本を代表する超大御所シンガーソングライター、『△△△△』は彼の超がつく大ヒット曲である。ケンちゃんはこう説明していた。

「◯◯◯◯がまだ若手の頃、俺も含めて何人かでギター持ってよく集まってたの。その時、俺が作ったメロディーを元にできたのが、あの曲。だから◯◯◯◯は俺に恩義を感じて、あの曲の印税の一部を今でも俺に払い続けてくれてる。俺がこうして飲めるのは、その金があるから」