Diggy-MO’とBro.Hiの共通の影響源に、生音によるヒップホップ・バンドでは初めて大々的な商業的成功を納めたバンド、ザ・ルーツがある。加えて、デビュー前のDiggy-MO’は、ハードコア・パンクを織り交ぜたスタイルで知られるヒップホップ・ユニット、ビースティ・ボーイズにも惹かれていたとも語っており(「bmr」2002年12月号 No.292、ブルース・インターアクションズ)、Bro.Hiもミクスチャー・バンドでの活動歴があるなど、彼らはSOUL’d OUT結成以前の段階で、ソロのMCとしてでなく「バンド的な形態で活動すること」自体に非常に意欲的であった。

 Bro.HiのラップはDiggy-MO’に比べると取り上げられる機会が少ないが、「Shut Out」(‘03)などで聴けるように、ラップのスピード感はDiggy-MO’と一切遜色ないと言ってよいだろう。何よりもっと多くの方に知ってもらいたいのは、彼がヒューマンビートボックスの名手だということだ。代表曲のひとつ「ウェカピポ」の後半で聴けるスクラッチサウンドが、レコードではなく彼の声によるものだと知らない人も多いかもしれない。また、「Dream Drive」(‘03)のヴァースでは、そのヴォイススクラッチとラップを織り交ぜる高度なスキルを披露している。

 Diggy-MO’はメジャーデビュー直前、その非常に癖の強いファンキーな声質を「和製アンドレ3000」と評されている(「bmr」2002年12月号 No.292)。当のDiggy-MO’本人はそうした意見を受けて初めてアウトキャストを聴いたと語っており、直接影響を受けていたわけではないが、多彩なアレンジ、そして自身の歌唱によるメロディックなフックを織り交ぜるSOUL’d OUTのスタイルは、アンドレ3000が所属するヒップホップユニット、アウトキャストになぞらえることもできるかもしれない。

 ヒップホップがアメリカの東海岸(ニューヨーク等)・西海岸(ロサンゼルス等)を軸に語ることが半ば前提のようになっていた90年代に、南部のアトランタ発のヒップホップグループとして登場し、ソウルやファンクの強い影響下にある個性的なトラック/ビートを積極的に採用しながら大きな成功を勝ち取っていったアウトキャスト。もちろんアウトキャストとSOUL’d OUTの出自・キャリアは大きく異なるが、SOUL’d OUTがJ-POPや日本のヒップホップ界において築いた独特なポジションは、“のけ者”を名乗るアウトキャストが全米チャート1位というメインストリームでの成功を収めた姿と、どことなく通ずるものがあるように思えてくるから不思議だ。「Ms. Jackson」のいなたいフック、「B.O.B.」のコズミックなイントロからの急展開、そしてヒップホップの範疇を大きく逸脱したメガヒット曲「Hey Ya!」──こうしたポイントに注目して、改めてアウトキャストの曲を聴いてみてほしい。

 なお、Diggy-MO’は2005年にm-floの楽曲「DOPAMINE」にフィーチャーされているが、m-flo側のこのアッパーなビートの選択も、どことなくDiggy-MO’≒アウトキャスト(のアンドレ)的なイメージからチョイスされたようにも思える。

 こうしたDiggy-MO’の個性がShinnosukeのディスコ~シンセブギー調のトラックと最高の相性を発揮した楽曲は「TOKYO通信~Urbs Communication~」だろう。SOUL’d OUTが目指したサザンの80年代ヒット「ミス・ブランニュー・デイ」にも通じるミニマルなシンセフレーズが導くイントロから、120bpm越えのダンスビートの上でスムーズにラップ/歌唱を行き来し続けるさまは痛快だ。「SOUL’d OUTは、サザンとジャム&ルイスの融合を目指し、アウトキャスト的な境地に至ったユニットである」という超・冒険的な仮説を立てるならば、この曲は格好のサンプルだろう。