今回は足利義昭という人物と、彼を奉じて上洛した信長の真意について少しお話ししようと思います。
永禄8年(1565年)、三好長逸を中心とした、いわゆる「三好三人衆」などの対抗勢力に攻められ、足利義昭の兄・義輝(室町幕府13代将軍)が暗殺される大事件が起きました。世にいう「永禄の変」です。
室町幕府の将軍は、由緒正しき血統の持ち主というカリスマ性はあっても、他大名を圧倒するほどの軍事力・経済力はなく、各地の有力大名が将軍を支え、その権力を保証しているだけでした。それゆえ、将軍といえども「専制君主」として君臨はできなかったのです。在りし日の13代将軍・義輝も、その血統による権威を背景に大名間のトラブルを解決する仕事をこなしてはいたのですが、「永禄の変」はその現役の将軍が臣下とのトラブルの末に暗殺までされてしまったわけで、室町幕府の権威失墜を世に知らしめることになりました。
「永禄の変」勃発当時、奈良の興福寺・一乗院の門跡として覚慶(かくけい)と名乗っていた足利義昭にも暗殺の手が忍び寄りますが、彼はなんとか寺を脱出、近江(現在の滋賀県)に移動して命拾いし、支援してくれる大名を頼って各地を流浪する日々が始まります。2020年の大河『麒麟がくる』ではこうした背景も描かれていましたね。
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