カメラの前で、すべてをさらけ出す石井岳龍
若くして伝説的なフィルムメーカーとなった石井岳龍監督だが、17年間にわたる学生たちとの交流は、学ぶことも多かったようだ。4年ごしで本作を完成させた石井監督に、作品に込めた想いを語ってもらった。まず、映画の冒頭をShoot(射撃だけでなく、撮影の意味もある)から始めた理由を尋ねた。
石井「拳銃は最初は自分に向け、それから学生にも向けることになります。また、スクリーンに向かって発砲することになります。つまり、観客に向けても撃っているわけです。自分の考えでは、映画の作り手と観客とは入れ替えが可能な立場だという認識です。今回は学生や観客と一緒に映画づくりを楽しみたいという想いです。もちろん、自分に向かって銃を撃つことは、自分自身の不甲斐なさや世の中に対して感じるものもあり、このままでいいのか、どうにかしたいという衝動もあります。『高校大パニック』と同じだとは、指摘されて初めて気づきました。『高校大パニック』も、当時の自分が撮れる最大限に面白いものを、高校を卒業したばかりの同窓生たちと一緒に撮った作品でした。この映画を撮るということは、あの頃に戻るなということは感じていました」
劇中で取り上げられる「自分革命闘争ワーク」のテキスト内容はまったくのフィクションなのか、それとも石井監督が本気で思考していることなのか?
石井「自分ではフィクションのつもりで撮っています。でも、学生の中には『こういうことをやっていた』と感じた人もいるかもしれません(笑)。映画の中ではディフォルメしていますが、虚実皮膜の微妙なところを描いています。すべてが嘘かというと、そうでもないでしょうね。頭がおかしくなった大学教授が学生たちを巻き込んでいく、マッドサイエンティストものとして楽しんでもらえればと思います」
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