この日の『家忠日記』によると、信長みずから家康の食事を配膳し、当時、人気のあったお菓子である「麦こがし」を作り、もてなしたとあるのですが、その際、信長から家康に「引き出物」として与えられた品の中には、女性用の絹織物である「紅の生絹(すずし)」も入っていました。これこそ、信長がお市と家康の婚約(というか、内縁の関係?)を祝った行為ではないか……と安部氏は考えているようですが、天正10年5月といえば「本能寺の変」で信長が亡くなる直前の時期ですし、その翌年はお市の方も、二番目の夫・柴田勝家と自害してしまっています。この信長の「おもてなし」が、「清洲同盟」の結ばれた永禄5年(1562年)前後のことであれば話はだいぶ違ってくるのですが……。ただ、「大河ドラマ」は歴史小説と同じくフィクションですので、この際、いろいろと自由に描いていただいたほうが視聴者としては楽しくなるな、と思ったりはしますね。
家康とお市の方の関係の根拠とはなりえないものの、この『家忠日記』の一節については、ドラマや、他の史料で描かれる信長像とは大きく異なり、実際の信長はずいぶんと愛想の良い人だった(少なくとも、そういう一面もある)ということがうかがえるという意味で、興味深い記述です。実は信長には、家臣に手をあげるなどの暴力を振るったとする一次資料は、ほとんどありません。「本能寺の変」の後、明智光秀が「信長から暴力を振るわれていた」という噂を流したくらいなのです。こうした情報も頭に入れたうえで、「狼」として描かれる『どうする家康』の信長をご覧になると、また見え方が変わって面白いかもしれません。そして信長とはとても仲がよかったというお市の方と家康の関係が、ドラマではどう描かれるか楽しみですね。