しかし、普通に考えれば、今川家を裏切り、織田家に付いた時点で、家康は今川義元の「養女」である瀬名姫とは離縁したと考えても(史料がないだけで)おかしくはないでしょう。実際のところ、書類を交わすといった当時の“正式な離縁”をしていなかっただけで、瀬名姫と家康の心の距離は大きく離れてしまっていたのではないか?と思われてなりません。ドラマでは、今川家からの独立後も「家康を支え続ける心優しい女性」として瀬名姫は描かれそうですが、史実では、家康の裏切りを理由に、瀬名姫の両親は今川氏真から自害させられていますからね。そんなことがあっても変わらずに家康を「支え続ける」ことなど、はたして可能なのでしょうか。
第4回のあらすじによれば、ドラマでは今川氏真(溝端淳平さん)から瀬名(有村架純さん)は「家康と離縁して側室になれ」と迫られるようですが、それが実際にあったことかどうかはともかく、史実において瀬名姫とその子が辛くも生き残ることができたのは、氏真が義理の妹にあたる瀬名に温情をかけてしまった、もしくは家康への報復のために彼女とその子・竹千代を生かすことにした……という面のほうが大きいのではないでしょうか。
話が横道にそれましたが、このように瀬名姫とは事実上、離婚しているに等しい状態の家康に対し、信長が、彼の妹・お市を新たな正室としてあてがおうとするのは、ありえない話ではないわけです。
ちなみに家康とお市の方が深い仲だったと考えている安部龍太郎氏によると、家康の家臣・松平家忠の『家忠日記』、「天正十年(1582年)五月二十一日」の記述も、その論拠となるといいます(「日本産経新聞」2021年4月18日)。