しかし、ここで注目すべきは、『東照宮御実記』において、この母子再会の話の直後に出てくるのが、織田信長との間に結ばれた「清洲同盟」の成立の記述であるということです。『東照宮御実記』に具体的な記述こそありませんが、実際には「母子の再会」という一見感動的なシーンの裏で、ドラマ同様に政治の駆け引きがあったのかもしれません。思えば、わざわざこの時期に家康が「長年疎遠だった母親に会いたい」と急に思い立ち、織田方の水野・久松サイドに申し出たこと自体がやや不自然です。今川家を見限ろうと考え始めた家康が、織田方との接点を見いだそうとして、長年離れ離れだった母親との再会という名目で水野に接近したのでは……というドライな見方もできますよね。

 ドラマの家康は、現代の視聴者に近い感覚を備えた人物として描かれています。妻子を見捨て、自分と家臣たちが有利に生きられる道を選べ、などとアドバイスしてくる於大の方をはじめ、他の登場人物とは生き方に対して“温度差”があるのがドラマの家康なのですが、母子の再会に前述のような狙いがあったのだとしたら、史実の家康は、若くても、シビアな戦国の掟を理解している人物だったといえるのかもしれません。

 また、これも史実ではどうだったかについて諸説あるものの、於大の方のように、実家の利益のため、わが身を生贄のように差し出す政略結婚を繰り返す女性の姿がドラマでは今後も描かれていきそうです。次回から登場する「市」(お市の方)もそうした一人ではないかと思われます。

 お市は織田信長の妹として広く知られていますが、従姉妹説などもあり、実は身元は定かではありません。ただ一つ言えるのは、史実の信長が彼女の意思を(信長なりに)尊重しようと振る舞ったということでしょうか。これについてはまた後日、お話する機会もあると思いますので、そのときに……。