前回も少しお話ししましたが、第4回の放送で結ばれることになりそうな織田家との盟約、通称「清洲同盟」については、締結された経緯やその締結時期が定かではありません。公的な記録があまり残されていないのです。記録が少ない理由は、家康にとって織田家への接近は(旧)主家だった今川家とその新当主・氏真を裏切る不義理にほかならず、のちに「天下人」となった家康にとって“黒歴史”にあたるからだと思われます。ドラマ第3回では、家康の母方の伯父・水野信元が、家康の母(信元の妹)である於大の方を動員し、「織田勢に寝返れ」と熱心に言い寄る姿が描かれました。
ドラマでは、家康がまだ乳飲み子のときに於大の方と涙の離別をしていましたが、『東照宮御実記』などの“史実”では、母子が別れたのは家康が3歳のときだったとあります。
母子再会のシーンも、史実通りに描けばそれこそホームドラマ的に素直に視聴者を泣かせられたはずですが、実際のドラマでは、「主君ならば妻子など見捨ててでも家臣と国のために動け」などと家康に忠告するなど、於大の方はかなりクセの強い女性として描かれており、「大胆な読み替えをしているなぁ」という感想を抱くシーンになっていました。しかし、『東照宮御実記』を精読してみると、この再会シーンはひょっとすると、「読み替え」というより、史実を興味深い角度から「解釈」したものだったのかもしれないとも思えました。
『東照宮御実記』では、今川義元の敗死後、岡崎城に戻った家康が、これまで連絡もしていなかった母を思い出し、恋しさのあまり、水野信元とその配下にいた久松俊勝(=於大の方の現在の夫)に「母に会わせてほしい」と連絡を取り、水野の厚意で再会できたという話になっています。史実では、ドラマのように於大の方から「今川と手を切れ」などと言われたという記述はなく、再会を遂げた母子はただ感動のあまり、泣いたり笑ったりしながら、長年の思いを語り合ったそうですが……。