しかし、ここも徳川軍に包囲され、翌・永禄12年1月12日から戦が始まります。氏真がついに降伏し、戦国大名としての今川家が滅亡したという結果だけが今では取り上げられがちですが、氏真の激しい抵抗は5月17日まで続きました。氏真は、落ち目の自分を見限り、徳川方に寝返ったばかりの(元)重臣の小笠原氏興・長忠父子からも攻め立てられ、限られた手勢だけで、しかも味方してくれる他国の軍勢の到着もないままで4カ月あまりもの間、籠城戦を貫いたわけで、よく言われるような「文弱の徒」どころか、実際には強靭なメンタルの持ち主であったことがわかります。
次回の予告映像の最後には、家康と氏真が一騎打ちする姿が映っていたように思われるので、ドラマの氏真は自身の力では家康には勝てないとはっきり悟り、ここでいわゆる「グッドルーザー」となるのかもしれません。
史実では、徳川家康に降伏した後の氏真は、殺されることもなく、一時は妻の実家である(後)北条家の庇護下に置かれ、後には家康との友好関係を復活させました。
また、天正3年(1575年)3月16日、氏真は上洛し、京都にて信長に対面しています。氏真が父の旧敵である信長にどんな思いで会ったのかは不明ですが、この時の彼の振る舞いは名家出身者として完璧で、茶道の趣味のある信長に、今川家旧蔵の茶掛け(=茶室の床の間にかける絵や書)の名品として知られる「百端帆」を献上したほか、旧知の公家たちと見事な蹴鞠を見せ、信長を驚かせたといいます。
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